📕著書リンク

先日からの続きで、今度は印象に残った箇所をメモ。

主に「第二章 いったい人は、何のために何をしているのか」から。

コンピューターで食うことはできても、コンピューターを食うことはできない。(「人間なんぞ、たかが虫ケラーー大地震」p.49)

適当ながらも🌱野菜を育てていると似たようなことを時々考える。

食べる/育てるということに関して、機械や道具はあくまで人間の「補助」にしかなり得なくて、食べる/食べられるの関係に入ることがない。
その「補助」の在り方は何がいいのだろう?とふと考える。


しかし、次々に変わってゆく映像は、人に考える暇を与えない。人は、考えるためには、一度は必ず映像を離れる必要がある。(「どこまで馬鹿になりたいのーーテレビ」p.52)

今日日の📱ショート動画とかもほとんどこれだよな、と思う。
もちろん💻PCも例外じゃない。
技術が進歩してもこういう点自体が変わってないことを改めて思い知らされる。

そして集中して考えたいときって、結局

  • 🖊️ボールペン
  • 📃メモ用紙

なんだよなと最近よく思う。


リニアモーターカーの実現が近いとか、ニュースで言っていた。(「存在しているのは今だけーー時間」p.55)

2004年に連載されていた内容なんだけど、 ✍️これを書いている2024年の今でも状況が全然変わってないように見えて思わず笑ってしまう。

技術の側の勝手な進歩で、列車は勝手に早く走り出した。それに合わせて、人は予定を立てなければならなくなった。

移動手段に限らず通信技術も同じで、SNSやカレンダーに予定の立て方を支配されている部分があるな、と思う。

  • 自分で今作っているものが
  • 人の在りようにどう影響を与えるのか

ということは常に考えておきたいと思う。