ここ暫くは少しぼんやりしながら他人の日記を読むことが多い。
他人の日記をスラスラと読めると感じるのは書き手の力量もある程度あると思う一方で、

  • 別に完全に理解する必要はない
  • なので自分が目👀に止まるとこまで読み飛ばせばいい

という暗黙の合意形成が書き手と読者の間にあるのも大きいんだろうな、とふと思う。

と同時に、本の「読みづらさ」というのは学術書や技術書で感じる、書き手が求めているであろう(と読者が一方的に感じている)理解レベルに到達できてない(そして到達しなくてはいけない)もどかしさに近いのかも、みたいな事を思った。