知人の教育現場で働いている方の話を聞いていると、
義務教育でもレポート課題だったり
- ポスターセッション
- ディスカッション
- ディベート
どれかを選んで発表内容をまとめ、
発表までのスケジューリングとかも含めてチームで議論して決める、
といった話を聞いて進んでいるなぁ〜と思う。
もちろん学校だったり教育者の引きによるところも大きいのだろうし、
あるいは現場にいらっしゃる方にとっては当たり前のことなのかもしれないけれど。
やってること大学(あるいは会社)じゃん、と思ったので
「そういうことをやるための能力を身につける前提として📈偏差値って必要ですか?」
と聞いたら「一定の知識は必要だけど、学校の📈偏差値自体は関係ないと思う(色んな偏差値の現場で同じことやってるので)」とのことだった。
結局📈偏差値の意味って?ということを思った時に、 自分なりの仮説として、 学問だったり科学技術の世界で新規性を求めるのであれば、ある尺度において集団から飛び抜けている個人がチーム内に存在する、という意味では偏差値は役にたつ可能性がなくはないと思うけど、
- それは個人の能力ではなくで集団の能力の一部なのでは?
- チームワークをするための能力とは別物だけど混同されがちな気がする
などと思った。
そして新規性にも種類があって、
- 10-20年後に応用可能なもの(いわゆる「役に立つ」もの)
- 100-200年後に人々の価値観を一変させるベースになるけど、発表当時は当人と周囲の数人ぐらいしか理解できないもの
みたいに分かれるところがあって、今日日言われている偏差値は前者を拾うためのものなんだろうな、みたいなことを思った。