どの組織、集団でも個々の序列が強くなってくると
- 上であれば不正を通しやすく
(指摘してもらえない) - 下であれば見逃さざるを得なくなる (指摘しない方が短期的には楽)
という問題が起こりうる。
序列といっても要素になるものは色々あって、パッと思いつくものとしては
- 所属している年次 (立ち上げメンバー, 古参, 常連 etc.)
- 組織で与えられているラベル (〜長, リーダー, シニア〜, キャプテン, etc.)
- 組織のゲームで重要視されているスコア (売上金額, PV数, 視聴率, フォロワー数, 出版部数, 試合で挙げた点数, 観客動員数, 査読を通した論文数, etc.)
- 年齢/体格/物理的な声の大きさ/ジェンダー, 等の身体に伴う特権性
- 組織トップ、あるいはより強い権力とのコネクション
あたりだろうか。
実際にはここに書けていない要素も意識的/無意識的に複雑に絡み合うし、
どの要素がどれぐらいの重みづけになるのかは状況によって大きく異なる。
例えば
- 士気の低いスポーツチームに
- 外部から招聘された新キャプテン
であれば、チーム内ではキャプテンというラベルよりも所属年次の重みの方が強い、みたいなことが起こるだろう。
さらに組織が大きくなっていくことで
- 組織自体が組織を大きくする要素を加速していく(広告予算が増える、口コミが増えるなど)
- 人数増加に伴い序列による力の大きさと、序列を生む要素が加速度的に増える
といったことが起こるなあ、と思う。 もちろん組織が大きくなることで
- 得られる利益が大きくなる
- できることの質と量が圧倒的に増える
といったメリットがあるので、どういうトレードオフを取るのか?ということになると思うんだけど、
- 序列がある状態だとこのトレードオフの対話ってほぼ無理では?
と考えざるを得ないことが多い。
なので最近は
- 自分の周りに序列が可能な限り発生しないことに注力する
(レビュー/コメントを受けられる機会を大事にするなど、指摘を受けやすい状態にしておく) - どうしても序列を意識せざるを得ない際は川の濁流を遠目から眺める、ぐらいの距離感をとる
ぐらいが個人にできることだろうか、、みたいなことを考えている。 (何が正解か、と決められる話ではないんだけど)
この記事はライター鶴見済さんのこちらの記事 に記載されていた
(誰かを偶像視していると、自分を低く低く見積もるようになっていくのにも気をつけたい)。 (自分は大好きなミュージシャンのライブに行っても、自分とステージ上のあの人は対等であると思うようにしてきた(笑))。
の部分をきっかけに書きました✍️
📮おたよりお待ちしております。
人と対等に向き合えてるかどうかを確認するの、日頃から対話の機会設けていくしかないんだろうなぁとよく思います。